ツイラクの章
@10 白い春雨、黒い波(1)


 まなじりの切れ上がった両目が細められるのが、下から見上げててもわかった。エウレカには何かが見えてる。
 俺も真上へと首をそらせた。「何だろ?」って。
 すると。突然、スコールが降ってきた――
「え!?」
 ――ような気がしたけど、違った。

 降ってきたのは、雨じゃなくて、糸だった。

 夜空から無数の白い糸が、俺の周りにたれ下がってきたんだ。高速で、音もなく。
「わ、わ、なんだ、これ!?」
 それは、水に戻した春雨にも似ていた。
「白い手か」
「……手?」
 よく見ると、半透明の白い糸が、先っちょで五股に分かれていた。確かに、手に似てる……。
 しかも、ウニョウニョと動いてやがる……。……キショッ!
「今までのヒトはほとんど、黒い手に飲みこまれていったんだけど。珍しいな」
 エウレカは「うまく黒いのが出るかな?」なんてつぶやきながら、地面をキョロキョロ見回した。そして俺の死体に目をとめると、背をかがめて、

 バチンッ

 すばやく、力強く、音をたてて、俺の頭をはたいた。
 痛い! いや、実際は痛くなかったけど、音が痛い!
 俺に向けて広げたてのひらにへばりついてるのは、黒い羽虫。蚊、かな……? よく見えたな……。
 ふ、と。ぺしゃんこに潰れた蚊から白い気体が浮かび上がってきた。目を凝らしてみると、それは半透明の蚊の姿だった。
 蚊は飛んでいるというよりも、ジタバタと空中でもがいている。死んだことなんて、気づいてないんだろうなぁ……。
「来た」
 エウレカの視線が地面に落ちた。つられて、俺も下を見る。

 エウレカの足元が波打っていた。

「え?」
 目をこすっても、こすっても、同じだった。
 穴も無い地面から、重油みたいな黒い液体がわきだしてくる。ゴポゴポとあぶくを浮かべながら。
 そして。

 黒い水の壁が噴き上がったかと思うと、先端で五股に割れ、たちまち半透明の蚊を飲みこんだ。
 そのまま山のような曲線を描いて、波打つ土の中へ消える。

 その様子は、一瞬ですべてを飲みこむ津波の一部分を切り出した映像、みたいだった。
「あれが、黒い手」
 地面の波打ちがおさまり、てのひらの蚊を払い落としたエウレカがそう説明した。
 俺は無数の白い手に囲まれたまま、あっけにとられてその現象を見つめていた。
 でも、エウレカにとっては日常茶飯事のようだった。
 また、記憶の中のチャットログが目の前を流れ落ちていく。

eureka>天から下りてくる白い手。
eureka>地から伸びてくる黒い手。
eureka>どうやら、この2パターンしか無いようだが……
eureka>私のときは、どうだったのだろう……?

 ……「私のときは、どうだったのだろう」って……。
 「私のとき」って、……いつだ?
「クモと君が白で、蚊は黒……」
 そう小さくつぶやきながら、エウレカは俺を囲む白い手に触れようとした。でも、ひょろんと避けられてしまう。
 白い手が、エウレカを避けている。
「……エウレカ、ちょっと聞きたいんだけどさ……」
 ……なんか、すんげーイヤな予感がするんだけど……。
「さっきの黒い波みたいなヤツとか、この白い春雨みたいの、……何?」
 彼女は春雨に向かって伸ばしていた腕を、静かに下ろした。そして、静かに、こう答えた。
「死後の世界からの、お迎えの手じゃないかな」
 頭の上でエレキギターを掻き鳴らす音が響いた。

 ギュ ギュ ギュ ギュイイイイィイン

 ヘヴィメタバージョンの『運命』が。
 エウレカの背後の木から、葉っぱの重なりを突き抜けて、青くチカチカ光る何かが落ちてきた。
 回れ右して根元まで移動したエウレカが、それを拾い上げて戻ってくる。
「『ババア』って、お母さんのこと?」
 彼女の手の中でエレキギターを奏でながら震えてるのは、俺のケータイだった。屋上から転落したとき、木に引っかかったのが、バイブの振動で落ちてきたのか?
「うるさいから切るよ。どうせ、お母さんには君の声は聞こえないはずだし」
 っていうか、問答無用でフラップ開けてるし……。
 エウレカは、問答無用で終話ボタンを押した。血しぶきのあとが残る顔を、ほの白く照らしていた液晶画面の光も消えた。電源も、切ったみたいだ。
 暗くなった画面に留まっていた視線がフラップのてっぺんを越えて俺へ飛んだ。
 その視線の意味がわからなくて、首を傾げたとき、俺を囲んでウニョウニョしてるだけだった白い手が、新たな動きを見せた。




 

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