ツイラクの章
@11 ひとの手(3)


 何日かたつと、なんとなく上半身の感覚が戻ってきた。感覚っていうか「痛覚」だけどな。
 打ち身とか骨折が原因なのはもちろんなんだけど、敷ブトンに食いこむデブい体のせいで、背中に床ずれができちまって。とにかく、痛ぇっつうの。痛ぇっつうの!
 でも、体に戻る寸前に襲われた左目の痛みや、戻ったときの爆発するかのような激痛に比べれば、かなりマシだった。だから、ちょっと変なところに点滴針刺されてギャってなっても、ちょっと床ずれのところを強く拭かれてギャッってなっても、笑って許せる。
 おかげで、看護婦さんたちから評判がいい。いまだかつて、俺の評判がこんなによかったことはないだろう。「がまん強い子ねぇ〜」って、美人の看護婦さんに頭ナデナデされたら、もうめちゃくちゃ嬉しいんだぜ。
 その後のオムツの交換がめちゃくちゃ悲しいんだけどさ……。はっきり言って、今までの人生で一番のしゅう恥プレイだ。少しは慣れたけどな。
 左の白目は赤いままだ。原因、よくわかんねーらしい。まぁ、普通に見えてるし、痛くないからいいんだけどさ、パッと見、怖いんだよなぁ。早く治ってほしいもんだぜ。
 しっかし、タイクツだ。
 首と肩ぐらいしか動かせねぇし、寝っ転がってることしかできない。ラジオのイヤホンを耳につっこんでもらってるけど、この時間帯は夕方のニュースばっかでつまんねー。後で、MP3プレイヤーに替えてもらおう。
 って、もうそんなことすら一人じゃできないんだよな……。情けねぇ……。

 ……そういやぁ。

 俺、一人でいったい何ができるんだ?

「俺……」
 俺、一人で――

 歯をベロに乗せてみる。

 俺、一人で、いったい、何が、できるんだ?

 アゴにゆっくりと力を入れて、みる。

 コンコン

「ぅおっ?」
 病室のドアをノックする音に、目の前が軽く弾けた気がした。いけね。なんか意識が遠くに行きかけてた。
 「ふぁーい」って、あくびと返事をかねたようなおどけた声を出した。ババアが仕事前に寄ったんだろ。深刻な顔見せて何かツッコまれるのもめんどくせーし、元気なフリしとかないとな。
 カラララとドアが開く音。その後に、
「おじゃまします」
 って、ババアじゃない女の硬い声が聞こえた。「女の」、っていうか「女の子の」声。
 ん? この声? 聞き覚えあるぞ?
 すぐに、声の主が俺の視界に入ってきた。目がパッチリ大きいけど、口もガバーっと大きくて、そんなにブスじゃないけど、かわいいってわけでもないそんなビミョーな女子の顔が。
「え? 増井さん?」
 なんで彼女が? 超予想外なんだけど?
「……」
 口を半開きにして俺を見つめていた顔が、突然ぐしゃぐしゃに歪んだ。ババアと同じような反応だった。
 でも、涙のこぼれ方が違う。ババアの涙はけっこうほっぺたに吸いこまれちまってたけど、増井の涙は玉のまま転がり落ちていた。
「生きてた……。ほんとに生きてたぁ……! よかったよぉ……!」
 何度もしゃくりあげながら、冬服のブレザー姿の彼女は泣き続けた。
「あの……、なんで増井さんがそんなに泣くの……?」
 意味がわからなかった。あまりにもわからなくて、「こんにちは」とか「久しぶり」とか「お見舞いありがとう」とか、そんなあいさつを全部すっ飛ばして、そう尋ねてしまった。
「だって、だって……!」
 顔をまっ赤にして、ヒックヒックしゃくりあげながら、彼女は答えた。
「……自殺って……、あたしのせいなんじゃないかって、思ったんだもん……!」
 ……えーと……、それはなぜ……?
「あたしが、あの日、『死ねばいい』なんて言っちゃったから……!」
 ああ、そっか……。あの日、増井が押しかけてきて……、確かに言ってたな……。

「死ねばいいのよ! あんたもクソババアも死ねばいいのよ!!」

 とか、ナントカ。
 でも、関係ねーんだよな……。
「あの、気にしないでよ。増井さんのせいじゃないからさ……」
 こんなに泣いてくれてるのが申しわけないぐらい、まったく関係ねーんだよな……。
 「じゃあ、どうして?」って、彼女が首を傾げた。シャギーの入った髪が、涙のせいで何本もほっぺたにはりついてる。最後に見たときは、セミロングだった髪は、胸元まで伸びていた。
「わかんない。うちのお父さんのことあんまり気にしてなかったみたいだし、小渕君は別に病気でもなかったんでしょ? どうして死にたくなったのか、わかんないよ」
 ……あのぅ、クラスでの俺の扱い知ってるだろ?
 って、ハタ目には深刻そうに見えなかったんだろうな。ババアとマーシーさんのことだって「気にしてなかった」ように見えたみたいだし。確かに、気にしてるようには見せなかったけどさ。
 つーか、彼女に俺の自殺したがってた理由なんか言ってもしょうがないし。とにかく早く誤解をといてなだめたい。
「まぁ、いろいろあってさ。でも、増井さんはぜんぜん関係ないから」
「本当に?」
 まだ言うか。
「本当だから。前から決めてたことだったから。マジ、責任とか感じなくていいから」
 マジで、増井にはひとかけらの責任もないからなぁ。
「う、うん」
 やっとわかってくれたみたいだ。けど、彼女はまだ俺の顔をじっと見つめてる。なんだ?
「その目の赤いの……」
「あ? うん、そのうち治るらしいけど」
「あの人の……」
「え?」
「ううん、なんでもない」
 視界から増井の顔が消えた。
 「あの人」って、……多分、エウレカのことだよな? 増井、エウレカのこと怖がってたし。普通じゃないってカンづいてたぽかった。
 俺にわからないことがわかるかもしれない。ちょっと聞いてみるか?
 「『あの人』って、誰のこと?」。そう尋ねかけたら、「ティッシュ貸してね」って声がかぶさってきた。すぐにベッドサイドキャビネットのあるあたりから、ティッシュペーパーを引き出す音が聞こえた。「そのことについては聞くな」ってシャットアウトしてるみたいだった。
 気になるけど、まぁ、いいか。あのときの玄関での様子を思い出してみると、「何かを感じた」ってだけで、「何かを知ってる」ってわけじゃなさそうだし。無理に聞き出そうとして、また泣かれたら困るしな。
 今のところはあきらめることにして、軽く息を吐いた。増井が鼻をすする音が聞こえる。
「そういえば、増井さん、髪伸びたね」
 なにげなく、思ったことを口にしたら、鼻をすする音が止まった。
 そして、
「ふぇええええん!」
 彼女が大泣きする声が病室内に響きわたった。
「え? え? だから、なんで泣くんだよ?」
 本当に、さっぱりわからなかった。だけど、増井は答えてくれずに泣き続けるだけだった。




 

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